第四回和歌の浦短歌賞(自由詠部門)

藤原龍一郎審査員奨励賞

海のぞむ無人改札 駆け抜ける女子高生のスカートは波

-高橋 彩(千葉県)

■若々しいイメージの一首。無人改札と女子高生とスカートの三位一体が素晴らしい。

(藤原龍一郎審査員選評)

 


東直子審査員奨励賞

東京に嫌われ帰る 里道に枯れ草燃やす煙たつ見ゆ

-横山 槖吾(島根県)

東京に夢を抱いて上京してがんばってきたが、思うようにいかず故郷に戻ってきた場面だろう。東京を擬人化し、「嫌われ」という感情語を置いた裏側に、自分は好きになろうとしたのに、という気持ちが隠れているようで、切ない。草を燃やす煙は、田園風景の象徴であり、志が果たせなかった無念を具象化してもいる。草が燃えたあとには、また新しい芽が出る。長い時間を見据えての希望も見える。

(東直子審査員選評)



第四回和歌の浦短歌賞(自由詠部門佳作)

電線のカラス詩人のように鳴き寒くしぐるる空を見ている

-染宮 千美(栃木県)

■詩人のように鳴くカラスという見立てがユニーク。白黒映画のような画像が見えてくる。

(藤原龍一郎審査員選評)


デカンタはふたりの間に置いてあり注ぎたいのに遠すぎる距離

-堀田 イト(兵庫県)

■君のワイングラスが空になっている。「距離」は物理的なものか、それとも心理的なものか。あるいは両方か。とにかく君を意識しすぎて自然にうまくワインを注げない。心と体の乖離が思いの強さを物語っており、気持ちだけが先走っていく。

(江戸雪審査員選評)


本篇がはじまる前にぼくらもうポップ・コーンを食べ飽きている

-菊田 知和(東京都)

■これは実感あり。映画館では本編に入る前に予告編やCMが延々と流れる。そういう事実への批評がある。

(藤原龍一郎審査員選評)


風というかそけきものを人は待つ辺野古は凪てジュゴンは消えた

-六月朔日 光(福岡県)

■社会詠。三頭居たはずのジュゴンは行方不明だそうだ。結句の口語が効いている。

(藤原龍一郎審査員選評)


まどろみのなかであせりと空腹感持って物理は八割白紙

-谷尾 花音(奈良県)

■試験の夢の歌か。空腹感と結句の八割白紙が巧く照応している。

(藤原龍一郎審査員選評)


初摘みの生海苔われに振る舞いし君の消息ネットに探す

-円 弘子(東京都)

■下の句が現代的だ。一回性の出会いなどはもうない時代であり、便利なのだが少し寂しい気もする。ただしこの歌は「初摘みの生海苔」がとてもいい。食べ物の美味しい記憶は何よりも身体に深くきざまれるもので、下の句の行動に必然性を与えている。

(江戸雪審査員選評)


枝先に迷子になりたる手袋の五指でゆびさす市役所はここ

-杉本 玲子(大阪府)

おそらく、落ちていた手袋を、ここにありますよ、と、誰かが目立つように枝先に置いてくれたのだろう。「善意のはやにえ」と言われる行為ですね。その手袋の指先が市役所を道案内している。善意の連携プレーみたいで楽しい。

(東直子審査員選評)


波の上におちる雨つぶ早春の雲は鈍くて容赦がなくて

古田 香里(神奈川県)

水の上に水が落ちていくのを眺めると、不思議な感覚になる。早春の雲は、冬の終わりのかさぶたのように重く、ときに嵐となる。「容赦がなくて」という表現に、心の中に抱えている無力感がかすかに投影されているように思う。

(東直子審査員選評)


既読から返信までの時間にて採点される私の言葉

-立瀬 有理(東京都)

LINEなど、相手がそれを開いた時間が「既読」の印によって分かるものがある。その後返信した時間も記録されるので、相手の行動時間がわかる。その間「私」は、自分の書いた言葉がどのように受け止められるのかドキドキしている。どれほど気にしているか、「採点」という語によって如実に伝わる。

(東直子審査員選評)


職員室前の廊下に夕焼けはとろりと伸びて足音溶かす

明石 望由(東京都)

学校の廊下に夕焼けの光が当たっている。窓が大きく作られている学校ならではの光景がよく描かれてる。足音を大きく立てて走っていると先生に怒られるので、職員室前では足音を立てないように気づかっているのだろう。「とろりと」というオノマトペに安心感や楽しさが伝わる。

(東直子審査員選評)