第五回和歌の浦短歌賞発表

総評

 第五回は約745首のご応募をいただきました。
 今回の大賞は「自由詠」から選定されました。「自由詠」には、日常の中に垣間見える風景、
心情が織り込まれた作品が多く詠まれているように感じます。 「和歌の浦詠」は、過去の応募作品では、万葉人のあこがれの地に思いをはせたもの、
ノスタルジーを感じるものが多く見られたのですが今回は和歌の浦の自然への想いの投影、
その境界線が曖昧に溶け合う瞬間を詠んだものなども
増え、たいへん興味深く読ませて
いただきました。  新型コロナ禍や自然災害など、身の回りでさまざまな状況の変化がございますが、

それぞれの想いを短歌にのせて、第六回和歌の浦短歌賞にご応募をいただければ幸いに存じます。                 一般社団法人紀州文芸家振興協会 理事長 松原 文


第五回和歌の浦大賞(和歌の浦詠題・自由詠題共通)

そこだけが夢の続きであるやうに金管楽器は西日を宿す

― 芍薬 (千葉県)

■金管楽器と西日の配合が魅力的。上の句の「夢の続き」という発想にも詩的リアリティがある。

(藤原龍一郎審査員 選評)

*ぴかぴかの金管楽器は、楽器そのものが発光しているようにも見える。さらに金属の管の中にも光が入り込んでいるので「西日を宿す」というフレーズが、絶妙な説得力を持つ。こちらからは見えないところも表現しているため、人間の心の中の比喩として自然に感受できる。部活動などで金管楽器を夢中で奏でていたころを思い出し、そのころの夢を楽器がずっと抱えてくれていたのかもしれない、と感慨に浸っている。

(東直子審査員 選評)


第五回和歌の短歌賞(和歌の浦詠題部門)

東直子審査員奨励賞

寒々と選ぶ言葉も溶けてゆく傾きかけた陽の和歌の浦

― 佐藤綾子(千葉県)

*「物言えば唇寒し秋の風」という芭蕉の句のように、口にすると人間関係を冷ややかにさせ、自分自身も空しくさせる言葉がある。この作中主体も、心の中になんらかの不満を抱えていて、それをどう伝えるか、言葉を選んでいたのだろう。しかし、夕陽の照りはじめた和歌の浦の海を見ているうちに、そんな言葉も溶けていった。言わなくてよかったと安堵してもいるようでもある。おおらかな景色の中でゆっくりと心境が変化していく様子が伝わる。

― 東直子審査員 選評



第五回和歌の浦短歌賞(和歌の浦部門佳作)


波消しのブロックの闇出でゆくは和歌の浦発「空行き」の水

― 加藤三知乎(福岡県)

■歌枕の地和歌浦を詠んで、みごとに現代的感性を讃えてみせた。下の句の「空行き」の水という発想が抜群。

藤原龍一郎審査員 選評


和歌浦の海の匂いに名をつける風になっても迷わぬように

― 日髙千佳子(兵庫県)

*匂いという形を持たないものも、名前をつけると固有の存在になる。香水に一つ一つユニークな名前があるように。思い入れのある海の匂いにも名前をつければ、どこにでも飛んでいく風にも意味が生まれる。「迷わぬように」と、風の意志として描くことでファンタジー的な広がりが生まれた。

東直子審査員 選評


今は亡きシネマに残る寅さんの面影映す和歌浦かな

― 木下博文(大阪府)

・和歌浦は「男はつらいよ」シリーズ第39作で「寅さん」が訪れたことで知られている。和歌浦の美しい海を前にした「寅さん」の面影を追いつつ、いま同じように海辺に佇み、何を思っているのだろう。「シネマ」という言葉にどこか懐かしさが滲む。風光明媚な和歌浦の珍しい一面を切り取った歌で注目した。

江戸雪審査員 選評


朝まだき紀淡海峡霧立ちて行き交ふ船は笛を吹きあふ

― 廣岡梅生(三重県)

■現代の和歌浦の光景の写生の歌。汽笛の音が読者の耳に聞こえてくる。

藤原龍一郎審査員選評


和歌の浦小岩に座した赤人に潮の満ち干が歌をいざなふ

― アダムス理恵(USA)

■古代の歌人の赤人を出し、潮の満ち干が赤人に和歌をいざなったという発想がユニーク。歌枕とは、歌を発送させてくれる触媒がある場所なのだ。

藤原龍一郎審査員 選評


紀の川は高野の霊気溶かしこみ和歌山の海きよめゆきたり

― 大和嘉章(神奈川県)

*高野山という聖域で生まれた霊気が紀の川に溶け込んで海へと下り、浄める。神の視点で眺めたようなダイナミックな景の捉え方により、歌柄の大きな一首になった。山から海へ、人々の生活のほとりを潤しながら海へ注いでいく紀の川の特徴がよく描かれている。

東直子審査員 選評


和歌の浦の夏の白砂まぶしくてヤシの実はまだ夢をみている

― 高橋香子(静岡県)

・万葉集にも詠われている片男波。今は海水浴場として賑わっており、椰子の木も植えられている。上の句に描かれているのは、照りつける陽射しが反射して眩しい「白砂」。思わず目を瞬かせているのだろう。その様子が結句の「夢」へと繋がっていくところがいい。「ヤシの実」の夢を想像しながら、やがて自らも夢の世界へ誘われてゆく。

江戸雪審査員 選評


和歌の浦夕べを千鳥鳴き交わす一羽が飛べば一斉に立つ

― 原ひろし(大分県)

■「一羽が飛べば一斉に立つ」という光景には既視感がある。つまり、それは表現がリアリティを獲得しているということなのだ。

藤原龍一郎審査員 選評


ぬれまいとあわてて下がる妻を撮る 蓬莱岩の砂にすわりて

― 立川唱寛(和歌山県)

*妻は波打ち際に、サンダル、または裸足で足をひたしていたのだろう。思いの外大きな波が打ち寄せてきたのであわてて下がった。蓬莱岩は和歌の浦の名所の一つ。縁起のいい名前の岩から、妻の様子をかわいいなあと眺めている気持ちがまっすぐに伝わってくる。

東直子審査員 選評


さざなみが小さき光を撒くたびに ひざしひときわ揺れる浜辺は

― 文月栞(大阪府)

・波、光、そして浜辺。対象を可能なかぎり削ぎ落としたことで、読者の目の前に立ち現れる海がより大きくなった。また、「撒くたびに」の後の一字空けも想像の幅を広げている。下の句は、音を3・4・3・4と進め、ハ行音を響かせながら言葉が波にように揺れているようだ。和歌浦から海を見渡している眼差しの透明感に惹かれた。

江戸雪審査員 選評