第八回和歌の浦短歌賞受賞作発表

自由詠題部門

江戸雪審査員奨励賞

風に乗るひらりひらひら夏蝶の後に残りし深き青空

― 実 峰 (山形県)

■ 上の句の軽やかなリズム呼び寄せる明るさがいい。一方で、蝶が去った後に空の青が深まったという感受はどこか空虚感もあり、一首に深みを与えている。「夏蝶の後」という省略された表現は、夏蝶から青空へと場面を一瞬で広げる効果がある。

(江戸雪審査員 選評)


第八回和歌の浦短歌賞(自由詠部門佳作)

飛ぶことのないてふてふのかたちして路上に眠るひとの足裏

― 岡本恵(千葉県)

■ 路上で眠っている人の足の裏に着目し、しずかな悲しみに触れる一首。対になった足の裏を「飛ぶことのないてふてふ(蝶)」になぞらえた。実際に、その人は空を飛ぶことはできないだろう。地の上を苦しみと共に生きなくてはいけないことを運命づけられたことを噛みしめているよう。しかし、確かに今ここに存在することのはかない美しさが漂う。

(東直子審査員 選評)


わが顔にシールぺたぺた貼り終えて二歳は大きな息を一つす

― 漆原美栄子(香川県)

■ 二歳の子どもが、おそらく親である主体の顔にぺたぺたシールを貼っていったのだろう。状況を思い浮かべるとくすりと笑いたくなる。無邪気な二歳は「大きな息を一つ」して、大仕事をやり終えたかのようで、かわいい。二歳と大人の、言葉以前のコミュニケーションがほほ笑ましい。

(東直子審査員 選評)


5ミリ背が伸びていた春蝶ネクタイきりんの首に結んであげたい

― 黒瀬真弓(神奈川県)

■ 5ミリ背が伸びたという個人的な幸福とキリンの配合に意外性がある。

(藤原龍一郎審査員 選評)


もう居らぬ誰かが座った椅子がある桜の下の小さなバス停

― 岩瀬夏子(神奈川県

■ 「誰か」が去っていった多くの人のようで、たった一人を想っているようでもある。空席に降る花びらを想像した。そしてバスはきっと花びらを舞い上げていく。

(江戸雪審査員 選評)


均等に減っていくよう気を使うぼくのクレヨンぼくのスケッチ

― 石田泰生(埼玉県)

■ 「気を使う」が作者像を浮き彫りにする。「ぼくの」の反復が、スケッチと同じだけ大切なクレヨンへの愛着を印象的に提示している。

(江戸雪審査員 選評)


編みかけのセーター遺し母は逝きその藤色を我は編み継ぐ

― 信安淳子(岡山県)

■ セーターを編み継ぐという行為による母から娘への愛情のリレーが素敵。

(藤原龍一郎審査員 選評)

 


ドライヤーかけるあなたの風下でサボンの香る春をおぼえる

― 奥村美影(東京都)

■ ドライヤー、風下、サボテンという言葉のつながりが巧みに春を呼び出しています。

(藤原龍一郎審査員 選評)


ローファーのキュッキュッと鳴る音君からの私はここにいるよの合図

― 堀将大(岡山県)

■ 足音がキュッと鳴ることを描写した短歌は、体育館での試合描写などでも見かけた気がするが、この歌は「ローファー」と具体的に靴の種類を出したところがよかった。なんでもないときのなんでもない音の貴さを再認識できる。

(東直子審査員 選評)


おかえりとどこかで母の声がする今夜はカレー満月の笑み

― 舘健一郎(茨城県)

■ ふと「おかえり」という声が聞こえた。いつかの自分に向けられた母の声が蘇る。道にはカレーのにおい。見上げると満月がまぶしい。一首全体で母への想いを語っている。

(江戸雪審査員 選評)


一度だけ訪ね来た亡父母は陽光の紀州をお浄土のようと言いし

― 久保澄子(栃木県)

■ 紀州=お浄土という亡父母の言葉が陽光の中に立ちあがってきます。土地のイメージの剔出が抜群。

(藤原龍一郎審査員 選評)