第七回和歌の浦短歌賞受賞作発表

自由詠題部門

藤原龍一郎審査員奨励賞

斎場の社員募集に「安定し長く働けます」の一文

― 黒瀬真弓 (神奈川県)

■ブラックな味わいの一首。しかし、人は常に死ぬものなのだから、斎場勤務者が「安定して長く働け」るのは事実。皮肉な視点に共感する。

(藤原龍一郎審査員 選評)


江戸雪審査員奨励賞

プレミアムワッフルコーンと満月と恋の話をしてゐた君と

― 原ナオ(東京都)

■「プレミアムワッフルコーン」はおそらくコンビニスイーツ。コンビニエンスストアで気軽に買ったアイスクリーム、満月眺めて過ごした夜、となりで恋の話をしていた君。そのつながりを語ることがないため、場の雰囲気と気持ちをさまざまに想像できます。ひとつは、好きなひとが自分ではない人との恋に悩んでいる場面。

ほろ苦いアイスクリームと満月がいいなと思いました。

(江戸雪審査員 選評)


第七回和歌の浦短歌賞(自由詠部門佳作)

手術後に喋れぬ君の手を握るこれもひとつの手話だと思う

― 友常甘酢(神奈川県)

■手と手を握り合って、感情の交流をすること。これを「手話」と認識したのは卓抜な発見だ。

(藤原龍一郎審査員 選評)


言葉にもリボンをかけて渡したい父の退職祝いの夜に

― 住吉和歌子(北海道)

■これまで頑張ってきた父にはどうしてもちゃんと退職のお祝いと労いを伝えたい。プレゼントや花だけでは足りないのですね。「言葉」は人の心のなかに何よりも残るものです。とっておきの言葉を、「リボンをかけて」。

あたたかい気持ちが伝わってきます。

(江戸雪審査員 選評)


死後海に還る予定と聞かされてフラペチーノに紙ストロー挿す

― 中振瑞風(京都府)

■プラスチックゴミが海に残存し深刻な汚染原因になっているため、海に流れても溶けてしかう紙ストローが推奨されている。フラペチーノをその紙ストローで飲みながら、自分の死についても淡く想像したのだろう。

「フラペチーノ」や「紙ストロー」という今日の素材を、「死後」という概念と響き合わせることで、新鮮な味わいが生まれた。

(東直子審査員 選評)


正月のあいさつすればなぜと言う母は時空を越えてゆきたり

― まつむらりつこ(大阪府)

■年齢を重ねてゆくと、心も体も、人間のかたちそのものが少しずつ変わっていくように思います。

それは寂しいことかもしれませんが、自然なこと。おおらかな気持ちで母の変化を受け止めておられる様子が伝わります。下の句のように思考が破格に広がれば、母も安心して余生を送ることができるでしょうね。

(江戸雪審査員 選評)


点描画のような日射しを浴びながらたい焼きを尾からかじる三月

― 五感(山梨県)

■抽象的な上の句と、卑近で現実的な行為である下の句との対比の妙。

結句の三月も意外と雰囲気を押さえている。

(藤原龍一郎審査員 選評)


塗料つくベンチの上のヘルメット冬のお昼の陽をためている

― 市川登美栄(福岡県)

■工事現場などで使っているヘルメットを一時ぬいで、お昼の休憩を取っているのだろう。細やかな観察眼の生きた一首。ただのヘルメットではなく、塗料がついているところまで描写したことで、それを使っている人の仕事内容や、年季なども想像できて楽しい。

ヘルメットに溜まる冬の日は、心理的にも物理的にもあたたかく、気持ちのよい情感を感じた。

(東直子審査員 選評)

 


硝子器の中に息づく苗しづかボトルオーキッドは風を知らずに

― 縄田妙子(広島県)

■「ボトルオーキッド」とは、ガラスの器の中で欄などの植物を育てること。外気に直接あたることがないので、たしかに「風を知らずに」その植物は生きる。静謐なその世界に対する憧れと哀しさの両面が感じられる。他出する濁音の響きが厳かな雰囲気を醸しだしている。

(東直子審査員 選評)


目閉ずればしらじらと見ゆ子の余命聞かされし日の桜花の枝が

― 丸野幸子(大阪府)

■余命。それは自分のではなく、自分が産んだ子の余命。底なしの喪失感のなかにいるとき、桜花がたわわに咲いていました。悲しみの中、決断をする場面もあったと思います。背中をおしてくれるように咲いていた桜はずっと心を去ることはないでしょう。

「しらじらと」に、事実をどこか現実感のなく受け止めなければならなかった気持ちを想像しました。

(江戸雪審査員 選評)


夕刊を朝刊よりもゆったりとポストに入れる仕事着の人

― 山本明(千葉県)

■結句の「仕事着の人」が一首に輝きを与えている。朝刊はまだ暗い早朝の目覚めを告げるあわただしさがあるが、夕刊にはそれはない。「ゆったり」に共感する。

(藤原龍一郎審査員 選評)


使うたびマイク消毒されながら市松に座し総会すすむ

― 鯵本ミツ子(京都府)

■コロナ禍での総会の様子が端的に伝わる。時事的な記録としても価値がある。人の置かれた状態を「市松に座し」とすることで、頭上から俯瞰してその場を眺めたような構図を造像させ、イメージが鮮やかに伝わる。

コロナ禍の不安を伴う集まりに於いて、粛々とやるべきことを行っている心意気を感じた。

(東直子審査員 選評)