第五回和歌の短歌賞(自由詠題部門)

藤原龍一郎審査員奨励賞

「コンニチハ。」何度も声張るロボットよ そうかお前も出会いが欲しいか

― 大久保北斗(千葉県)

■ロボットに「出会いが欲しいか」と呼びかける面白さ。「コンニチハ」は確かに出会いの挨拶にちがいない。AIの時代になっても、かけがえのない出会いは貴重だ。

藤原龍一郎審査員 選評

江戸雪審査員奨励賞

君のいる世界が見たくて寝転べばオーロラのような洗濯物たち

― 高野真理(東京都)

・寝転がっている「君」はどんな人なのだろう。昼寝している恋人?老人?赤ん坊?いろいろ想像できる。とにかく大切な人から見える景色はどんなだろうと同じ姿勢になってみた。すると今まで何ということもなく揺れていた「洗濯物」が「オーロラ」の光を放っているではないか。それは「君」との世界が大きく創り変えられた瞬間だ。唐突な動作や視点が底抜けに明るく、それゆえ哀しみさえも連れてくる不思議な歌だ。

江戸雪審査員 選評

第五回和歌の浦短歌賞(自由詠部門佳作)

検査着はあまりに薄しバリウムと春寒を胃に流し込みけり

― 秋本哲(愛媛県)

・「検査着」「バリウム」だけで状況と心情をうまく伝える。薄い「検査着」を着せられて触れるものすべてが冷たい検査室の静けさは不安をいっそう増幅させる。手渡された「バリウム」のその違和感ごと飲み込む様子を、「春寒」も共に飲んだと見立てたところがいい。結句の「流し込みけり」というたどたどしい表現にも戸惑いが滲んでいる。

江戸雪審査員 選評

夕焼けの干潟に一羽ゆりかもめお前も帰る場所がないのか

― 打浪紘一(大阪府)

■ゆりかもめに自分の孤独を重ねる寂しさには実感がこもっている。夕焼けの干潟と言う場所の設定も、孤独をつのらせる。

藤原龍一郎審査員 選評

無くて良いようなパセリをかける時人はわずかに正しく生きる

― 植木滉(福岡県)

*サンドイッチなどに添え物として置かれ、食べられることなく皿に残されがちなパセリ。みじん切りにしたものをスパゲッティの上などにふりかけることがあるが、たしかに無くても良いかもしれない。しかし、かすかな風味となって楽しませてくれるものでもある。そんな様子を生き方に反映させて考える意外性が独特でおもしろい。

東直子審査員 選評

黒電話みたいに地味に暮らしたい ときどき部屋の隅で叫んで

― 久保茂樹(大阪府)

・今となっては骨董品のような「黒電話」。必要とされることもなく暗がりに置かれているそれを、自分と重ね合わせている。「黒電話」のように在りたいとどことなく自虐を感じさせるのだが、下の句で突然自己主張をはじめて度肝を抜かれる。とくに「叫んで」に不穏な怒りを感じる。それは誰もが隠し持っているものなのかもしれない。

江戸雪審査員 選評

「教室に雪持ち込むな」の貼り紙の下に小さき雪だるま二つ

渡邉照夫(埼玉県)

■とぼけた味わいがある、この二つの雪だるまは誰が作ったのだろう?雪国の学校ならではの光景か。

藤原龍一郎審査員 選評

無国籍なぼくらトレーにばら撒かれプラスティックなバーガーショップで

― 堀田イト(兵庫県)

*大量生産される食品のように個性を消されていることへの批判を込めたのだろう。しかし、だからこその反動としてのエネルギーも感じる。カタカナ、長音、撥音、拗音が駆使された独自のリズム感が楽しい。

東直子審査員 選評

甲冑の触れ合う如き熊笹の音しきりなり中辺路ゆけば

― 那智勝(和歌山県)

・戦国時代における秀吉の紀州攻めなどを想像しながら歩いているのだろうか。中辺路は熊野古道のなかでも紀伊山地に分け入るコース。険しい山道に響く「熊笹の音」を全身に浴びながら歩を進めていくと、意識はたしかに時間をさかのぼっていくのだ。「甲冑の触れ合う」がその時間旅行を生々しく伝えている。

江戸雪審査員 選評

**中辺路は和歌山県の紀南地方ですので自由詠としております。紀州文芸事務局

河原(かわはら)でタコ上げしている人すべて大空見上げる元日の午後

― 中井久子(大阪府)

*元日の、すべての人が仕事を休んでいる、ぽっかりとした気分がよく伝わる。河原という場の広さや川の湿気を含んだ風、タコを上げている人、見守る人。淡々と景色を描いた歌だが、そのまわりにいる人と景色が様々にやわらかく広がっていく。

東直子審査員 選評

カマキリが寄るな触るな大鎌を振り上げているフロントガラス

― 千徳紘美(山梨県)

■自動車のフロントガラスにはりついて、威嚇するカマキリ。蟷螂の斧ということわざを絵に描いたようだが、現実の光景として実感できる。

藤原龍一郎審査員 選評

豆めしを好まざる子も好む子も みな家を出てふたりの夕餉

― 太田正己(京都府)

*子どもが巣立ったあと、夫婦ふたりで夕食を食べる、達成感とともにある淋しさ。二人で食べている料理から、幼かった子どもたちの記憶がさまざまに蘇ってくる。子どもの個性を食べ物の好みで思い出すところにあたたかみを感じる。「豆めし」という呼び方にも味がある。

東直子審査員 選評